アセンションの選択

 アセンションへの選択-「感謝」


何だ、また感謝か、宗教で聞き飽きたぜ、感謝感謝といって金をかき集め偽善を繰り返す・・・、たまに感謝で生きるかに見える人があっても個人の問題に終始しており、あまり参考に成らないし・・と聞こえてきそうである。

 でも判断は読んでもらってから。


そもそも、感謝とはなにか?何に感謝するのか?人に対してか?いただいた行為・物にか?大自然の恵みに対してか?それとも・・・

こう考えてみれば、私達は感謝という2文字について、あまり考えてこなかったような気がします。いや、そもそもその言葉自体をよく理解していないようにも思えます。感謝とは感情であって、言葉での説明とは、相性が良くない・・・それは分かっていますが、その真の感情に至るために言の葉は至って大事である。それなくしては通り過ぎてしまうところに立ち寄らせるのは言葉による説明であるかもしれません。事実は感謝こそアセンションへの鍵であるということのようです。


1. そもそも日本語の感謝は、感情を表す「感」の字と,謝る,わびるを表す「謝」の字の組み合わせであり,その意味は「感情がわびる」すなわち「感情が謙遜」という意味になります。感情が謙虚であれば、他者からしていただいたことがよく分かり,心は他者から謙遜した状態になります。そうして,愛という報恩の心,行為という機会を持つ事になります。


2. 心が謙遜あるいは気持ちが謙遜であることが感謝であると言いましたが,それでは気持ちが謙遜であることは何を意味するのでしょうか?気持ちが謙虚であることは敬虔であることを意味します。敬虔であるとは創造主の存在を自己の存在の基盤としていることを意味します。


上の1.は感謝とは愛の発動であることを言っています。2.は,感謝とは存在という創造主の認識である事を述べています。すなわち,感謝とはするものではなく、創造主に寄り添っている心の状態である事が分かります。ですから,人からしていただいたことは創造主からしていただいたことでもあるとの認識の基づいて,私達はその愛の発動を感謝と言っているわけです。


 言い換えれば感謝とは存在という創造主への愛の思いであり,共にあるという気持ちです。これが,創造主(父)への感謝を捧げるという心の態度・行為になります。そうしてこの状態において,私達の生活は神の心に適うものとなります。アセンションとは,神の心に適う状態への復帰であり,現在の銀河の周期においては地球と共に復帰する事を意味しています


 すなわち,アセンションを選択することは,感謝の心に戻る事を意味します。


創造主からの大いなる奇跡からの引用です。全文は以下のアドレスで読んでください。

 http://ameblo.jp/ashtar-galaxy777love/


あなた方の意識、振り落とされないように、あなた方の選択、これからとっても大事な選択。

 

あなた方の意識、しっかりと、しっかりと、大いなる父に寄り添って、父の愛の導きにいざなわれますように、お祈り申し上げたいと思います。

 

大いなる父の、大いなる神の、大いなる愛のエネルギー、満ち溢れます。

 

大いなる神の御霊によって、この場が愛で満ち溢れます。

 

わたくしはお祈り申し上げたいと思います。

 

わたくしはあなた方を愛しております。

 

わたくしはあなた方を慈しんでおります。

 

父に心から感謝を捧げてください。

 

感謝・・・、父に、心から感謝を・・・。

 

あなた方が、父の愛、永遠の愛、溢れる最高の愛に満たされますように・・・。

 


 



 


サルーサ(終わり)

 



この時点においてもっと大切なことは,今地球に降り注ぐ光を維持するために堅忍不抜の確固たる心を保っていることです。そうすれば,振動数は上がり続けるでしょう。皆さんの意識レベルは,淀んで滞ることなく,その結果として上昇するに違いないのです。すでに,それは闇の領域を変化させつつあり,意識を閉ざしていた人々の心の中にも達しつつあると私たちは見ています。皆さんが素早くアセンションに近づいているので,その振動を吸収出来ないソウル達は地球を去らなくてはならないでしょう。彼らは現在の経験の継続を許すタイムライン上に行くよう,その道筋を運命づけられています。そこには選択の余地はありません。誰しもすでに高次の振動に備えていない限り,上昇は出来ないのですから。すでに申し上げたとおり,すべてのソウルはその未来をとうに決めているのです。


前の段落において最後に,私たちに気になっている逮捕劇について言及したので,それはそれとしてもっと大切なこととして振動を上げて行く事について言及されている。以前に何度も吟味したとおり,闇の心でアセンションを選択すれば地球を去る(アセンションの同時線から何らかの方法で消え去る(例えば死なども含む))ことになる。そのソウルは,アセンションでないタイムライン上を生きていくことになる。(地球のタイムラインはアセンションを行く地球とアセンションを行かない地球に分かれ私たちのタイムライン(同時線)はそのどちらかに乗ってくる。


私たち銀河連邦は皆さんにお会いする準備が整っています。事実,最近では,ある状況下において多くの機会にコンタクトが行われてきました。そのうちのいくつかは,任意の会合と思われますが他は,世界に平和をもたらす機会を皆さんの指導者に与えるよう意図され手配されてきました。何度も私たちは皆さんのために平和を仲立ちするよう申し出てきましたが,権力を振りかざす者達は,皆さんの奴隷化を進める計画の方を好んだのです。しかし,皆さん方一般人は,神に呼びかけ闇のマスターから解放されるよう願い,それは確かな方法で回答を得たのです。その結果,皆さんは,サイクルの終焉を文明の崩壊ではなくアセンションを持って終えようとしています。その母なる地球と共に起こるアセンションを眺めると,ユニークに達成されており,特に皆さんが肉体の中にある状態で上昇することは珍しいのです。そのために他の多くの宇宙の文明が皆さんの地球に引きつけられており,それは壮観な眺めとなり,その印象を長く続かせることになるでしょう。私たち自身はといえば,特別観覧席を得て幸福で楽しい結末を保証するためにそこに座るでしょう。その後直ちに皆さんは進化の新しい段階を始めることになるでしょう。それは,今皆さんが慣れ親しんでいるものとは全く異なるでしょう。皆さんが,愛と光の真の存在である覚醒したソウル達の中に入るとき,神からの贈り物のすべては,皆さんに授けられるでしょう。


私はシリウスのサルーサ,皆さんにすべてがうまくいっているとの確証を示すことを喜んでいます。明らかに,真実を明かす時が大きく姿を現したので,皆さんの必要を満たすプログラムを用意します。これによってなぜ皆さんがこんなにも長い間抑圧されてきたかが理解できるでしょう。皆さんはアトランティスの崩壊により作られた暗黒の期間から脱出し,闇の者に挑戦して光の中に自ら立ち戻り,そして成功しました。それは長く大変な旅路でしたが,皆さんは,高次元に入り光に戻る価値ある存在であることを証明しました。私たちはそのような皆さんを愛しています。


(続く)






サルーサ続き

 

今回のマシューメッセージもサルーサメッセージと同期していて,同じ内容が語られている。


このように同期しているということは,今,とくに強調しておきたいことなのでしょう。それは,以下の内容です。


玄のリモ農園ダイアリー マシューメッセージ5/1

http://moritagen.blogspot.jp/


メッセージではまず,愛の大切さ(口だけの愛ではない)を語ることから始まる。外してはならない原点と言うことでしょう:

愛と光は、創造主の根源的エネルギーの言わばふたつの面で、コスモス(大宇宙)の中でもっとも強力なパワーです。


 次に,霊性を高めることが愛に生きることであることを述べるのであるが,それはスピリチュアルな情報とは無関係であり,あくまでも情報は,気持ちを高めるための呼び水に過ぎないことが述べられる。マスターにしろ指導者にしろ,そのものが私たちの霊性を高めるのではないことを確認している。とくに:

マスター(師)たちによってもたらされる覚醒を求めたりするのも同じです。”“をつけたのは、そのような高く進化した魂たちは自分たちをそのようには呼ばないからです。


と語られるように,真の教師達は,自分のことを高い者とは呼ばないことが強調されているのが印象的である。進化は愛によってもたらされると結論しているのであり,現在起きている闇の者達の逮捕劇も,決して革命(変革先にありき)などではなく(だから,そのことばかりを強調しすぎるのではなく)あくまでも,人類が愛において進化し始めたことが大きな要因であることが述べられている。また地球は第三密度をほぼ抜け出すところまで来ていることも述べられている。

 要はマシューメッセージでは,大事な原点が愛における進化であって,それ以外は現象としてついてくると言っているのである。この姿勢こそ真の高次元からのメッセージだと思います。


 サルーサメッセージに戻ろう。ここでも,当然のことながら人間の真の目的を語っている。決して,逮捕劇がどうのこうのを強調しすぎることはないようです。アセンションは革命ではないと語っているのだから当然のことでしょうけれど。このように高次元世界からのメッセージは革命的側面ばかり強調することはありません。それでは,読む人の精神を向上させることはなく,逆に引き下げる結果を招く可能性が危惧されるからです。だから,必ず原点に戻って,本来の目的について述べています。特に今回はそこの部分が,サルーサ・マシュー両方で強調されています。以下サルーサメッセージの訳に戻る。


愛する皆さん,皆さんの人生の目的は全くもって進化にあります。皆さんの魂の旅は,最終的に,すべてであるところのソースへ皆さんすべてを連れ戻すのです。明らかに,ソウルの進歩を他と比較してみると,低い次元においてどのくらい長く存在したかによって全く異なっています。今,皆さんは高次元に向かって進んでおり,一度そこに到れば,線形時間に縛られることはもはや無くなるでしょう。すべては,「今」にあり,皆さんは意思によって過去・現在・未来を移動するでしょう。ただ,ここしばらくの間は皆さんはまだ時間に束縛されており,多くのプロジェクトの立ち上げが明らかに遅れているので,皆さんには気がかりになっていることも認識しています。ただ,現実にはプロジェクトは大変うまく進んでおり,闇の中でも(リストの)上位にある人々の逮捕劇の何件かの実行を助ける態勢にあります。それは,ずっと行われてきたのですが,権力の座にある人々を一掃するための出発点になるでしょうから,皆さんがよい状態にあるための権力と責任は,それを実現する別の人たちに引き継がれることでしょう。私たちは,誰が光の人かを知っていますし,だれも私たちの精査を逃れたり,私たちをだましたりすることは出来ませんから安心してください。事態は山場を迎えており,間もなく驚くべき展開が期待できるでしょう。


このように,真のメッセージは,あくまでもまず本来の目的を確認することを怠らない。その上で,今何が進んでいるのか,その概要を私たちに告げるのである。決して,革命的なところだけに焦点を当てて,私たちの心をそっちへ引っ張り本来の宇宙の法を見失わせる方向に誘導することはないのである。そうして,以下では更に本題に入っていく。逮捕劇はあくまでも本題ではないことを知るべきと言うことでしょう。




(続く)






サルーサ5/2(2012)を読む

 

ふるやの森,たきさん訳 サルーサメッセージ5/2

http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/777403273fc5658c86bfa98b48ef7bd5


サルーサメッセージでは,闇の者達からの開放と逮捕劇が銀河連邦の助力で行われているが(当然のことであるが,罪人は,地球の裁判にかけられると言っているようだ。),またここでも,繰り返し罪人達に対し怒りを発し報復などを考えてはならないと注意が為されている。私たちのエネルギーは,それを必要とする人に愛として送らなければならないことも述べられている。(いつも変わらずに,慈愛に満ちたメッセージである。以下引き続いて文章を読んでいく)



もう一度繰り返したいと思いますが,今地上にいるすべてのソウルは,ある特別な目的を持ってそこに存在し,場合によっては,その目的が純粋に観察者として(地球を観察するために)存在することだってあります。すべてのソウルは経験することで恩恵を受けており,また多くのソウルがアセンションを選択しています。別の言葉で言えば,誰であっても,(生まれる前からの)人生計画を持っており,その中には(皆さんが持っているような)最先端の知識もなければ,アセンションへの理解も持たない人たちも含まれます。実際,多くの人がそのような理解や知識を有するのに必要な意識レベルに至らないであろうことを知りながら転生してきたのです。そうであっても,すべてのソウルは,彼らの体験を通して学ぶ事になるでしょうし,とくに,終わりの時まで残っている人たちはそれを目指すでしょう。獲得された知識はすべて彼ら自身のアセンションの時点に到達すべくソウルを前進させていきます。二元性は成功への近道ですが,しばしば深い闇の体験という犠牲を伴っています。そこから抜け出す方法は常に存在し,光が答えればすぐに偉大な光の存在が現れるでしょう。


ここでは,すべての地上の人にとって,人間としてのこの二元世界での経験こそが大切であると言っている。アセンションの知識は先端的知識と言えるが,ほとんどの人はここまで到達していないし,それは生まれる前から計画に入っていたことである。その人にとってアセンションがやってくる時点に至るまで,経験を積むことが大切であると言っている。2012年末はアセンションの象徴的ポイントであるが,アセンションの仕方は個人個人で異なっており人の数だけのタイムラインが存在することを忘れてはならない。もちろん大きく分類すれば,年末でアセンションに行くか行かないかという二つのタイムラインの束が存在することになる。


(続く)






雑感

天国と地獄の門


 前回,精神世界にいる私達の心がけで最も大事なことは,謙虚であること(人々の存在するグランドレベルより一段低い穴の中にいるという心がけ),という覚え書きを提示しました。

謙虚であれば,真実は直感で分かり,偽りは即座に見抜けるからです。理由は後からついてきます。人は謙虚さを捨てたとき,それが出来なくなってしまう。と言えるのではないでしょうか。


サルーサ(マイク経由)やマシューメッセージはかなり安定して,ほぼダイレクトに高次元世界からのメッセージを伝えていると思います。もちろんそこには,意識の翻訳の過程で多少の雑音は有り得ると思いますし,高次元世界の住人の心が100%ダイレクトに伝わることは難しいかもしれないとは思っていますが。


で,この両者が述べていることは,アセンションに関わる情報と私達の心構えですが,いつも変わらない態度として


 喩え(次元を超えた)闇のものといえども,また(この世界の)闇の仲間達といえども,彼らもまた,神の分霊であり,いつかは,長い経験を通して本来の心に戻ってくる存在である。だから,そういう認識を持って,決して敵であるという攻撃的な精神でいてはならない。これが大事なこと。


 つまり,愛の精神を必ず説いています。愛とは,(喩え自分の考え方と多少異なったとしても)排他しない心です。愛の反対は,恐怖と言いますが,愛でないことは「排他」です。なぜなら愛とは他者と自分を結ぶことだからです。ましてや,喩え考え方は違えども,アセンションを真に望み光の世界の到来を心から願う精神世界の仲間達は,大事にしなければ成りません。ここで団結できなくていったい,誰と団結できるのか。


 ルシフェルは,暗黒の王者です。宗教では彼の支配する3次元でない世界を地獄と呼びます。キリスト教やいろいろな宗教で脅しに使われた,罪人が「投げ入れられる」地獄は確かにありません。なぜなら神は慈悲の存在だからです。しかし自ら,その心を自己保存にゆだね,神に敵対した魂は,自ら地獄を作り出します。だって呼び寄せの法則を認めるならば,神に敵対した魂が行くところはどこなのでしょうか?神の世界に行くのでしょうか?


 多くのメッセージで「地獄はない」という時は,宗教で脅しに用いられる地獄を指します。ですから,人間が作り出した地獄はあります。そこは投げ入れられるのではなく,自らが赴く世界です。


 さて,その地獄の王であるルシフェルが,回心したというのなら,これはまさに朗報であり,マシューメッセージやサルーサ(マイク経由)でも語られてしかるべきことになります。ルシフェルにとって,自らの王国を維持するためには,世界の半分がアセンションに向かっていくことは翻意ではなく,なるべくアセンションのないタイムラインに多くの魂を引き寄せたい。そのためには,既に地獄の王としてのルシフェルは存在しないと公言し,人々を「安心」させたいのは容易に考えられます。人々が安心して,心をゆるめてしまえば,また自分の得意とする世界に引き込めるからです。もちろんどちらに行くのも自由です。

 こんな事を最近は考えました。


創造主の導きへと・・・

 自分へのメモ



前回は

 創造主の言葉

http://ameblo.jp/ashtar-galaxy777love/


を読み少し軽率な感想を書いた。

自分でも,うわべだけの理解でしかないことは知っていた。だけれども,暇ができたときに考えればよいという安易な気持ちでいたのである。

ところが,落雷と心臓へのビートの合図で,もう一度読むように促された。しかも件のページを開くと,フリーズしていないのに,HPのスクロールもできなければ,ページの移動もできない(履歴によりバックしてアドレスは変われどもページは動かず)。こういうときは考えるしかない。動かないページには,以下の部分が見えていた。

だけれども、自分がそうすることによって満足が得られるから。

大切なものを得る、心の、魂の満足が得られるから。

そうなれないと思っている者は、自分の心が謙虚になれるようにわたしに願いながら、一度試してみなさい。

本当の謙虚ということを学ぶ、魂の大切な学びだな。

おまえたちのいろんな人間関係の中でだな、この世界にあって学べるもの、尊いものを得る、ほんとに魂の満足を得る経験をしてみなさい。

それも、大切な心の浄化のひとつであるということだよ。

・・・

http://ameblo.jp/ashtar-galaxy777love/より一部引用


そこでPCから離れて考えた。


今回の創造主のお言葉は・・・

私たちが,普段犯している考え違いが,そこに書かれているようにに思う。

宗教やスピリチュアルなどで,指導的立場の多くの人も,この間違いを犯しているのではないだろうか。いや,すべてここの間違いであったといっても言い過ぎではないかもしれない。


私は,このブログでよく人間平等と書いてきた。でも,その意味はもっと深いところにあったようだ。


 精神世界のことを知るようになると,よく犯す間違いとして,考えるとわかりやすいかもしれない。つまり(正しいと思っている)自分の主張を侮辱されたとき,謙虚な気持ちを持ち続けるならば,それを受け取り,よく考えることになるという事実だ。


 その謙虚な気持ちとは,侮辱する相手を含めてすべての人間の存在するグランドレベルよりも,自分はもっと堀下がった穴から見上げている感覚である。他者より低いところにいる気持ちといえばわかりやすい。そのような気持ちならば,すべての言葉を客観的にとらえることが可能となる。


 ところが,人は,経験が増えるに従いこのことを忘れる傾向にあるようだ。経験と知識量から自らが人よりいちだん高い台に乗って他者を見下ろしている感覚になる傾向になる。このときに侮辱を受ければ,「この,何様に向かっていっているのだ。真実を知らないやつめ。」という気持ちになるだろう。それは,自分が台の上に立って他者を見下ろしているのであれば当然の気持ちといえる。このときに謙虚な気持ちに戻ることは難しいものだ。今まで見てきた新興宗教の間違いはすべてここから始まっていた。それは決してそれまでに説かれてきたことが間違いということではないのである。その時点で心の態度が,認識不足により誤った位置に行ってしまったということだ。もちろん従前であれば,それは直ちに暗黒の者の支配下に落ちることになる。


 自ら進んで,グランドレベルより一段低い穴に入って人間を見上げている気持ちであれば,そうはならない。それはむしろ,人をしたから支えている感覚に近い。


 考えてみれば,私たちはこの点において大きな考え違いを犯してきたのではないだろうか。真理を知ることにより,悟りという人より一段高いところに上るような気持ちできたのではないだろうか。


 神は,高いところから光をおろしているような錯覚を持ってきたのではないだろうか。この感覚は,今考え直した方がよいと思う。神は下から私たちを支えているのであり,決して自ら偉い存在と思ってはいないということを・・・


 そう,何度も何度もスピリチュアルで語られてきたことなのだが・・・


  自分へのメモ書きとして・・・

 


 






 


とても大事なこと

 大事なこと

 どこかで聞いたことであるけれども,大事なことのようだから書いておこう。

「人間(にんげん)」とは「人の間」とかく。なんだ当たり前のことじゃないか,と思うしそれが普通だ。


だけれども,人というときは,個別の「人」であり,物理的な肉体とその人格などをさして称する。


それでは人間とはなにか,それは,「人」のような個別の呼称ではない。もっと,いわば抽象化した概念だ。つまり人の存在形態まで含めた概念であり,人は孤立して存在するのではなく,人と人との関係において存在意味があることを示している。


 つまり,私たちがこの世に,いや高次密度世界にあっても,人間は人間であり,孤立して存在する者ではなく,常に他者との関係性において存在意味がある。


 私たちの今の世界,これから経験するであろう世界,そのどこにあっても,人は人間なのである。ならば,私たちの普遍的な存在理由は,この言葉に凝縮されているであろう。


 つまり,私たちは人との「触れ合い」の中で,「目的」を果たしつつある存在であることが,明らかにわかる。


 「目的」とは私たちが帰り着く場所であり,心のふるさとでもある。目的とは,人が人間でなくなったところ,すなわち,「間」の必要がなくなったところであり,父なる存在の御むねに帰りついた状態といえる。


 すなわち,人間である限りは,人との関係性において,目的に向かって学ぶ必然性を私たちは常に備えているのだ。


 それは,たとえ原始的時代であろうとも,科学の進んだ時代であろうとも,また次元を上昇した世界であろうとも,いつも変わらない神理といえる。


 だから創造主の言葉はいつも,「人の間」のことを語るのだろう。私たちには詰まるところ,それがすべてなのだから。


   http://ameblo.jp/ashtar-galaxy777love/


 たとえ,いやだと思う人に対してさえ,その感情から一歩退いて,心を低くして見るとき,そこには,長所というものも見えてくる。今回の創造主のお言葉は,胸にしみる。

 


新興宗教とスピリットのねがい

 
 宗教をやる人へ

時間がとれなくて,ブログに書き込めないのが,ここを読んでくださる皆様には申し訳ない気持ちです。


 先ほど,ふるやの森 掲示板を見て,新興宗教からの妨害があった事実を知りました。新興宗教の名前は出ていないものの,どうやら私がここで言及してきたうちの一つであるようです。


 ふるやのの森 サルーサ4/11で,書かれていますが,どこかのコメント欄で議論があったそうで,それがどこか分からないので読めませんが,ついに,全く組織を作らずボランティアベースでやっているグループの場所にも手や足や口をだしてくる状態になってしまったのかと思うと,・・・おいたわしや・・・


 さて,愚痴はこのくらいにして,このサルーサ記事では次のように言われています。


私たちがお願いしたいことは、私たちの意図についての誤解が生じないように、人々に知らせることです。宗教的な期待と希望を抱く人たちの中には、私たちの到来が教えられてきたこととは違うので、私たちを受け入れようとしない人々もいます実際、私たちを悪魔の仲間であると理解するように教えられている人々もいるのです。私たちは神を愛する存在であり、あなた方を奴隷状態から解放するために奉仕しているのですから、この様な感情と疑惑を払拭したいと願っています。[注]


新興宗教にも主としてネットで関わったので,このような状態を聞くと胸がつまる思いである。

 新興宗教は,教祖の言葉あるいはその指導霊の言葉が絶対的な権威を持つ。ただ,真実の言葉であれば強制したり威圧的な調子にはならない。必ず聞くものの選択を尊重するのであって,後どのような判断をするかは私たちに任されているし,それが本来の宇宙の法である。


 そこで,霊示について,考えてみよう。教祖が後でその霊示がまがい物であると言ったらその通り信じてしまい自分の判断が出来ない人は論外でありここを読むのは止めてもらいたい。


 少なくとも,自分の頭で考え自分の心で判断できる人に対し書きたい。真実は誰しもその心にあるのだから,外部からの情報はその呼び水に過ぎないのである。


 まず「我の言うことを聞け」などと宣う教祖がいたとしたら100%間違った霊の影響を受けていると考えてよい。たとえその教祖の出自が何であってもである。真の覚者は決して他者に強制はしない。人間平等を悟っていて,必要な情報(真理)を提示はしても,その選択は結局聞く者自身であることを知っているからである。それは創造主が人間に自由を与えているのに呼応する。宇宙の真理は,創造主の心なのである。


 たとえ,生まれる前がマスターの魂であっても,この第三密度世界で間違った心を持って,人類を奴隷化しようとする霊の精神誘導を受ければ,仮にその人格に器が感じられたとしても,それは,宇宙の法ではない。間違いを語り間違った方向に人を導いているのである。教祖の語る言葉を,「すべては一つ」,「人間平等」,という立場に立って客観的に考える必要がある。「我が教えに触れるは千載一遇の機会である。それを逃したらその後悔は永遠である。」等と宣う者に惹かれる人は結局そのような世界を選択していると自覚すべきである。その場合「すべては一つ」を悟るまで,まだまだそのような地獄的世界を経験する必要があると本人の潜在意識が選択しているのかもしれない。天国は,そのような世界とは反対の場所なのである。


 だいたい,ふるやの森で指し示す世界は,お金のない世界である。お金の必要ない世界だ。それに異議を述べることは,お金を必要としている世界,すなわち低レベルの振動の世界を志向しているわけであり,きっと,その人たちを指導する教祖・霊は,お金を否定されるのが困るからだろう。そう考えられないだろうか。私の言っていることは違っていますか?


 一方で,このような教祖には従わないものの,その流れの中で二元性のタイムラインを選択するかに見える人達もいる。この世界に大災害が起きて,人類に大きな参加が降りかかると信じている人たちである。それはアセンションが遙か先の世界であり,間近に迫った,アセンションを信じない(選択しない)人たちと言える。


 その,基づく情報は,霊能者の預言であったり,霊示であったりする。たいていの場合このような預言をする霊は,未来が一つではないことを,地上の者に示す力がない。しかし,である,タイムラインは複数あり,それは私たち一人一人の選択にかかっていることは厳然たる事実なのである。このことを地上人に理解させられないという事実は,力不足としか言いようがない。私たち一人一人は,その心によってタイムラインをいかようにも選択できるのであり,その事実こそが,私たちには創造する力があることを示している。これこそが「究極の」法であり真理なのである。


 創造主や偉大なマスターが直接地上人の脳を支配して語る場合は,その言霊はダイレクトに近い力を持ち,同じ振動を持つ人の心を揺さぶる。しかし通常は,脳を通して霊人の思いを言葉に翻訳するプロセスが用いられ,その言葉を聞く人たちの理解力に合わせて語られていく。

未来の予言をしても,どのタイムラインを見ていっているのか,分からないのである。その人達の意識でたどるタイムラインを見ているからだ。だから預言はすぐ外れるのである。


 しかし,霊示の価値はそのような預言にあるのではない。全体を通して,人類に理解してほしいタイムラインを暗示し,そのタイムラインへ向かうための精神を語るのであり,その大局が読めるかどうかが大事なことと思う。もう一度言う。表向きの言葉にとらわれてはならない。その心を理解すべきである。


 直接こうであるとは,霊人は語らない。なぜなら,選択するのは人であり,神ではないからだ。霊人が出来るのは,よい選択をするように仕向けることだけである。だから,霊人の語る言葉にとらわれると,真実は全く見えてこなくなる。そういう間違いを,特に最近の新興宗教に関わった多くの人がしていると言うことだ。


 以上が,私がネットでの活動を通して,このようであると認識してきたことです。新興宗教に関わった人に参考にしていただきたい。


 


 


 






 


 


 

 


つづき

 貨幣という仕組み


貨幣は中学生・高校生でも習うことであるが,そのトリックは,小さい内は,なかなか分からないと思う。


 一国に限って言えば,例えば日本では日銀が紙幣を発行している。紙幣という形に限らなくとも,日銀が市場にマネーを供給できるしまた,出回っているマネーの量を減らすことも出来る。


 このようにして,通貨量をコントロールすることで,ものやサービスの流通を制御することが可能となる。


 誰かがため込んでしまって出回るお金の量が少なくなってくると,経済も段々と立ち回らなくなってくる。そこで,日銀なら日銀がお金を供給しようということになる。


 ところが,足りないからと言って無際限にお金を供給することはできない。なぜなら,そうして,国内でインフレが起こり始めると,諸外国からは,円の価値が減っていると言うことで,諸外国の貨幣に対して円安という現象が生じてくるからである。極端なことを言えば,やり過ぎれば円は信用を全く失い,円が紙くずと化すのである。


 諸外国と取引が一切無ければそれでもかまわないが,これは国の破産を意味する。


 但し,ここで,ある組織Xが,実は円を大量に貯め込んでおり,それを皆に分け与えるという事態になったらどうだろう?


 それはしっかりした根拠のあるお金であるから,円そのものの価値を減らすものではない。従って市場において信用を得て,円の価値を減らすことはないし,極端なインフレも起こらない。


 日本はこれまで生産が消費を上回ってきた。そのため長期的な対ドル円高となってきたのである。逆に米国は,消費が生産を上回ってきた。本来ならドルは紙くずとなったはずであった。


 なぜそうならなかったのかといえば,日本をはじめとする諸外国からの借り入れと,米連銀(FRB)による貨幣供給という奥の手でしのいできたと言える。


 しかし,ここに来て,このまやかしのテクニックにも限界が見えてきた。貨幣供給をしようにも,ドルが紙くずとなっては,どうしようもない。


 そこで考えた。ユーロは,もういつでも何とかなるので,円を何とかしなくてはならない。円に対しドルが紙くずとなることは,ドルの消失を意味する。そこで考えたのが,前回述べた日本増税による円と日本国家の価値消失である。


 しかし,このような悪あがきが,続くはずもない。すでに,金融機関要人の逮捕や辞任が始まっているという。増税を唱える政治家はやがて国民の審判を受けることになると信じる。


 いずれにしても,正当に蓄えられたマネーの供給は世界を救う力がある。例えばスイス銀行などには,多くのそのようなお金が眠っているという。


 現在の状態で,世界を救えるのはこの正当なマネーである。あれ!?日本が稼いだ正当なマネーはどこに行った?

 


増税

 増税は日本人のためなの?


現政権が「命をかけてやる」と言い張る消費税の増税であるが,これで,財政赤字を減らし,将来の日本国民を安泰にしましょうという考えに,スピリチュアル系の多くの人はおそらく反対ではないだろうか。


なぜか?

一つ,今でさえ若者の貧困化や年収の減により,苦しむ国民に,さらなるダメージを与えることになる。いかなるへりくつを考えようと決して国民のことを,この時期に,考えた政策ではない。


一つ,増税により財政赤字が減る?普通は真逆に考えるほうが理に適う。90年代後半の橋本総理の消費税アップを忘れた人はいないだろう。当時日本は,先進国でもトップレベルの経済回復と経済規模の上昇期にあった。まさにバブルの痛手から回復していたのだ。それが,消費税を上げたとたん,あっという間に谷底に転落した。つまり,増税で,財政は回復するどころか,逆になると考える方が普通なのだ。


一つ,現政権は,財務省のいいなりとよく揶揄されている。財務省は某国に従属しているとも言われている。田中宇氏の記事から以下を引用する。


日本では消費税の増税が検討されているが、消費増税で財政赤字が減ると、日米間の財政赤字のバランスで日本が優勢になり、円高になる。米国より弱くありたい日本の官僚機構が、消費増税で財政赤字を減らそうと本気で考えているのかどうか、疑問がある。消費増税したら消費が減退し、むしろ経済減速の悪影響が大きいかもしれない。

」 http://tanakanews.com/120308japan.htm


つまり,増税は,日本を良くしようとしてやるとは考えられないというのが田中氏の考えであり,ごく自然な考えであると言える。常に某国を利する,あるいはその下にあるという姿勢を貫きたいがための施策であるといえる。



国民のことを本当に考えた政治をやってもらえないものだろうか?







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